駄文書きの屋根裏部屋

ネット駄文書きの備忘録です。ネット小説や出版作品について、あれこれと語ります。

自作を酷評する〜『冬過ぎて、春来るらし』

作品紹介

今回紹介させていただくのは、『冬過ぎて、春来るらし』だ。群像劇形式で書かれた超常ミステリである。複数の既存キャラが、スターシステムで登場する。とりわけ重要な役割を果たすのは、『方舟キーテジ号出航』で探偵役だった遠坂朱美先生と、『愛のモノリス』で敵役だった烏丸ルナさんだ。ほかにも、『離魂の術』で語り手だった吉備津いづなくんや、『ミス・オカルトの四原則』の入江杏さんも活躍している。

とにかく、群像劇なのである。

自評

群像劇は受けないのか?

最近になって、この問題を考えている。日本では、群像劇はあまり受けないように思う。ロシア文学の巨匠が群像劇を愛好していることと対照的である。よく批判されるのは、視点移動が多く、主人公が把握しにくいという点である。一理ある。しかし、明確な主人公を定めないといけない、というのが日本における文藝の鉄則であるならば、日本においてはそもそも群像劇が成立しないのであろう。このことは、サブカルの領域においても、議論の的になっているようにみえる。例えば、ジョジョの第7部がそれだ。大河ドラマの『花燃ゆ』も、おなじ批判を受けていた。

これについて、私はまだ結論を出せていない。日本語で作品を書いている以上、群像劇が受けないならば、そういうものとして諦めなければいけないのかもしれない。

超常ミステリの側面の弱さ

本作は、超常ミステリである。が、実際にそう呼べる事件は少ない。後半は作者の好みに走ったため、葦原という少年と、ルナさんの日常エピソードが主になってしまった。これはこれで収穫だったのであるが、作者の趣味として切り捨てられかねないように思う。ネット小説でどこまで読者を意識したほうがよいのか、という問題を、あらためて考えさせられる出来だ。いくら出版を目指していないにせよ、読者を置いてきぼりにするのは、文藝としてどうなのか、と。

まとめ

今更ながら、本作が私のなかでひとつの総括的な作品だったことに気づく。登場人物の造詣は、ほかの作品にも深く根を下ろしている。欠点を克服し、様々な方向性を生むことができれば、さいわいである。