駄文書きの屋根裏部屋

ネット駄文書きの備忘録です。ネット小説や出版作品について、あれこれと語ります。

私の執筆動機〜『雨月物語』について

私が小説を書き始めたのは、さまざまな要因からだ。そのなかでひとつあげろと言われたら、現状では『雨月物語』を引き合いに出さざるをえない。江戸時代の国学者上田秋成が書いた怪談集である。公刊は1776年であるから、元禄文化と化政文化の過渡期にあたる。だが、私の関心は文学史にあるわけではない。問題は、上田秋成の方法論なのだ。

上田秋成の方法論

異論は噴出すると思うが、上田秋成の方法論とは、私に言わせれば「思想を論ではなく物語で表す」ことにほかならない。虚構によって体現された思想なのである。このことは、『雨月物語』の随所から明らかにすることができる。例えば、「仏法僧」は歌論であるし、「青頭巾」は国学における〈直き心〉批判にみえる。全体が怪異小説になっているのは、当時の儒者に対する反発とも考えられるだろう。儒者は、超常現象を認めなかったからである。これらのことは、論を通じても表現できたはずである。現に、上田秋成は、日の神論争において、本居宣長と舌戦をおこなった。それと同じように、歌論を書いたり、国学書を書いたりすることも、できたであろう。それをしなかったところに、私は着目したい。論ではなく物語なのだ。

上田秋成は、なぜ論ではなく物語をもちいたのか。これは分からない。すくなくとも、証明することはできない。だが、私は直感的に、あるいは共感的に、論証に対する不満があったのではないかと思う。私も仕事柄、論を書く立場にある。そのとき、なにかが物足りないと感じる。その物足りなさを補おうとする試みのひとつが、論を捨て、物語をとるということではなかったのか。上田秋成には『大胆小心録』というエッセイのようなものもあるが、彼の思想を生々しくあらわしているのは、『雨月物語』のほうである。

説明不能なものを示す手段としての小説

もちろん、このような選択は、ひとつの批判を逃れえない。小林秀雄が述べているように、論を捨てた者は学者ではないのである。文人だ。したがって、私も論を捨てているときは、(末席の末席の)文人ということになる。学者は、論で勝負しなければならない。これは事実であろう。しかし、ここでひとつの問題提起をしてみたい。そもそも、すべての学問において、論が成り立つのであろうか。例えば、倫理の領域において、論は固有の意味を持つのか。これに回答するのは、むずかしい。哲学上の大問題でもある。G.E.ムーアの〈善〉議論ひとつをとっても、そうなのだ。もし〈善〉というものが、ムーアのいうように〈直観〉によってのみ把握されるならば、倫理に関しては論が成立しえない。ただ、直観だけが可能である。そのときに必要なのは、論ではなく現象(あるいは表象?)ということになるだろう。〈善〉は説明しえないのかもしれない。単に示しえるものかもしれない。

仮にそうであるとすれば、いくつかの領域においては、物語が固有の認識手段として座をしめることができる。やや言い過ぎかもしれないが、上田秋成は、なんとなくこのことに気づいていたのではないだろうか。

結び

我田引水すると、私が小説を書き始めたのは、このことに上田秋成が気づかせてくれたからだ。論ではなく物語を。これが私の執筆した小説の根本にある。そうである以上、私は『雨月物語』を、執筆動機の第一に位置づけざるをえない。より根源的なものは、たしかにあるにせよ、である。